日本縦断1日目。
日本縦断。
誰しも一度は考えたことがあるのではないだろうか。
私も乗り換え案内で稚内から鹿児島中央までの行き方を調べるなどしていた。しかし、それはあくまで冷やかしとしてであり、現実味はなかった。
時は経ち、学生最終年。今までいろいろアホなことはしてきたが、さらに何か記憶に残ることをしたいと思った。しかし、このコロナ禍で海外はムリ。
そこで国内に活路を見出すことにした。すると、ふとこれを思いついた。しかも青春18きっぷというものを使えば安く移動できる。
ただ、今はコロナ禍ということでできる限り感染者が少ないシーズンを選ぼうとは思ったが、どうしても時間がない。
そこで以下の対策を行うこととした。
◯公共交通機関で隣に人がいる場合はフェイスシールドとマスクの着用
◯飲食店ではマスクを外して話さない
◯密な場合には入店しない
◯何かものを触った場合にはアルコールで手指消毒
◯飲食物は購入直後に消毒
◯衣服、カバンは毎日消毒
◯私語はできる限り控える
◯列車に乗る場合は基本的に窓を開ける
これだけすれば感染リスクは十分に下げられると判断した上で十分に注意して行った。
ルートはずばり、稚内→西大山。
なお途中区間では船舶、新幹線のみ利用しているが、基本的には在来線で移動することとしている。
それでは早速スタート😆😆😆
3月16日
朝7時15分頃に羽田空港第2ターミナルに到着。
カウンターに行くも千歳でないと取れないとなり、乗り継ぎ時間的に無理やん!となった。
いきなり万事休す。終わったか・・・。
しかし、エアドゥのお姉さんが「先ほど聞いたところここ(羽田)でも取れますよ!」とファインプレー。
急いでANAのカウンターにいくが、クレカが2つとも使えずパニくり、お姉さんの失笑を買う始末に。
その後保安検査場を通り8:15発の新千歳行きに搭乗。
相方はなぜかここでいつも疑われる笑
ADO0015
羽田8:15→新千歳9:45
(札幌で撮った別の機体)
約束通りフェイスシールドとマスクを着用。隣はおらず通路側に座った。
混雑率は約60~70%?
大したアクシデントもなく、すぐに新千歳に到着。久しぶりの北海道ということもあり、写真を撮ってはしゃいでいたが、空港のおじさんに冷めた声で呼ばれ、恥ずかしくなった。
10:20発の稚内行きの航空機へと向かう。
NH4841
新千歳10:20→稚内11:15
こちらはボンバルディアのプロペラ機。
途中気流で揺れたが恐怖は感じず。プロペラ機ってこんなに安定感があるんだと思うくらい安心感があった。
空からではあるが、雪原が広がり北の大地へ来たのだと再確認する。
ついに稚内空港に到着。これだけでも旅としては立派に成立しているが、まだ5分の1も終わっていない。
謎のゆるキャラがベルトコンベアーの真ん中に鎮座している。
このローカル感がたまらない。
想像していたより、結構いいバスだった。(失礼)
ロシア語の表記があるため、実感が湧いてくる。
だだっ広い雪原が続くかと思いきや、整備された国道、ロードサイド店がところどころにあった。
写真は北限(?)のマクドナルド。
そして稚内駅に到着。ここでいったんお昼とする。
市内を散策する。昔ながらの商店街、といった感じだろうか。
ボリューム亭に行きたかったがあいにく閉店していたので、駅併設の「お食事処ふじた」にお世話になった。
ボリューム亭
お昼は稚内ザンギ定食(1180円)をいただいた。
寒い地域ということもあり(?)、全体的に味は濃い目だったが、ザンギのサクサク感とバターのおいしさを感じることができた。
その後駅ナカをぶらぶら歩いたのちに、宗谷岬を目指してバスに乗車。
こちらは事前に往復2560円の宗谷岬バス記念乗車券なるものを購入した。
バス乗り場の方は慣れているらしく、宗谷岬と言った瞬間にこのきっぷを売ってくれた。
途中の景色。思っていたより住宅が広がっている。
写真では撮れなかったが、エゾシカとも遭遇した。よく人里に降りてくるらしい。エサが欲しいのだろうか。
北海道でよくある赤い矢印(雪が積もっていてもどこを走っているかわかる)
さて、海沿いをひたすら走ること約50分、ついに宗谷岬につくとバス内の全員が下車。
(写真は帰りのバス停)
帰りのバス発まで40分ほどしかなかったので、駆け足で回った。
まずはお馴染みの日本最北端の碑。ミーハーなので写真を撮ってもらいました。
「自分が今1番日本で北にいる!!!」
手前にある大きな石には宗谷岬という歌の歌詞が刻まれていた(はず)。
こんな感じ
あるボタンを押すと、宗谷岬が大音量で流れる。実際に押したら結構な音量で、他の人に「何やあれ、アイツら何しとるん」みたいな顔で見られてしまった。しかしそんなことは気にせずにちゃんと全て流した。
間宮林蔵像。
何があるかわからない場所、しかも極寒の地域に向かう勇敢さは並大抵のものではないだろう。
他にも日本最北端のお土産屋さんも有名。
ここではクリアファイルと温度計を買った。あまり大きな荷物を得てしまうとこの後が大変だ。
相方は証明書もゲット!
「日本最北の〜」が氾濫している。
だが、個人的には海軍堡塁が一番興味深かった。
戦前から日本にとってロシア、ソ連は脅威であった。特に、北海道は相手に対峙する最前線としてこのような施設がよくあったらしい。晴れた日にはサハリン(樺太)が見えるらしく、とても見晴らしが良かった。
ここから全てが始まる。
太平洋戦争中に宗谷岬沖で撃沈したワフー号、ワフー号により撃沈した日本商船、日米両国の犠牲者を追悼する碑。
宗谷海域で戦死した方々の慰霊碑。
これらにおいて祈らせてもらった。
今回はただ日本を縦断するだけでなく、こうした歴史にも目を向けていくことにしていた。
今後もこのような場面は出ると思う。
あけぼの像。北海道での酪農開拓のシンボルらしい。
帆立ラーメン。おそらく日本最北のラーメン屋さんだろう。
祈りの塔。大韓航空機撃墜事件の慰霊碑。
宗谷岬にはその景色とは異なり、悲劇的な出来事がたくさんあった。これも直視すべき事実だ。
最後に宗谷岬全体の画。
さて、バスで稚内駅に戻る。
帰りのバスも宗谷岬からの客が9割以上。(それでもバスはがら空きなのだが)
宗谷湾を望む。
稚内駅に戻った。
物理的に「日本最北端」を感じる。
稚内公園を見ようとしたが、山、というか壁みたいな感じでこれは無理!とギブアップ。
写真以上に高い「壁」でした笑
代わりに北防波堤ドームと呼ばれるところを訪れたが、これも背景となる海や雪を被った山々と合わせてよかった。積もった雪で滑り、手を負傷したことを除いては。
この写真を撮った直後に転倒。当日の稚内市は雪が溶けて踏み固められたところがあり、路面が滑りやすくなっていた。
(ノシャップ岬を望む。)
ドームの中では子どもがキャッチボールをしたり、若者がスケボーをしたりしていた。思っていたより活気のある街である。
稚内駅に戻り適当に散策。
(昼に撮りました)
映画館もある複合施設となっている。
駅ナカはとても立派。他にもカフェやレストラン、お土産物屋さん、さらには子どもも楽しめるスペースまである。
1日時間を潰すこと、は厳しいかもしれないが半日なら多分余裕だろう。
応援してます!
そのあと北海道民にとって欠かせない(よね?)セコマまで歩いて夕食の調達をしに行った。
夕食は前々から決めていたセコマのホットシェフでかつ丼(600円)を購入。かなり、ボリューミーでお腹一杯になるのに苦労しなかった。
相方はここで品ぞろえ、サービスの良さに感動していた。
車内で食す。結構多かった、、、
そしていよいよ18きっぷ。18;03発の列車だが、改札が閉鎖されることを見越して、昼にスタンプを押してもらっていた。
やはり、スタンプを押してもらうからには、日本最北端の駅のスタンプが欲しいものである。(そこにこだわりがある人が多数かどうかについてはあえて言及しない)
さて、いよいよここからJR最南端を目指す。
稚内から◯◯◯◯キロコレクション。
あと3000キロ以上も進むのか・・・
JR最北端地点。
宗谷本線 普通 名寄行き
稚内18:03→名寄21:49
稚内からの乗車人数は7人。大半が18きっぱーとみられる人たちである。実際、宗谷岬に同じ時間帯にいた人も発見できた。
車内はこんな感じ
この車両は費用を抑えるために、昔新幹線で使っていたシートなどを再利用している。
豊富で地元の利用者が下車した後、車内には7人の18きっぱーのみが残り、全員が名寄まで乗車。
豊富駅
無人駅でも夜は点灯していること、鹿が途中線路にいたため、電車が止まりかけたことにはとても驚いた。
糠南駅。駅舎はヨド物置!
音威子府名物の駅そば。
店主が今年2月に亡くなり、閉店した。
旅情を誘う夜のホーム
シカに遭遇!!
シカがいたため名寄に5分ほど遅れて着いた。
座席に戻ったら出せないはずのテーブルが出せることに気づいてしまった笑
とりあえず一度降りてみる。
何の目的もなく降りてみると意外と面白いものに当たったりするものである。
実際駅舎もよかった。
(ノーマルバージョン)
(レトロバージョン)
(駅前。とても寒く空気が冷たい。といっても氷点下ではないので北海道では暖かいほう)
駅ナカ。
さて、本日の宿がある旭川を目指す。
新しい車両。今までの国鉄風とは趣を異にする。
宗谷本線 普通 旭川行き
名寄22:16→旭川23:40
旭川に到着。
思ったほどの疲労感はこの時点ではなかった。セコマで明日の朝ご飯を購入しホテルへと向かった。
泊まったホテルは古そうであり、浴槽も小さかったが、安かったのであまり文句はない。